お爺さん亡き後の相続についてもめました。

私の母方でもめました。

 

お爺さんは数千万円と言われる預貯金を残していただろうと思います。

しかし90歳を超えてから、意思の疎通があまり出来ない状態となっていました。

 

実は母方の家庭は、長男は連れ子であとはつまり母親が長男は違うという事です。

母方の長男はカナダに住んでおり、実は母は双子の姉妹なのです。

 

連れ子つまり私のおじさんにあたる人は、お爺さんとの公団住宅(もともとは月島に家がありましたが、売却してかなりお金が入ったらしいのですが私が産まれるがどうかの時期にはすでに公団住宅に転居しており、その額面がどうだったかが解りません)とおじさんのマンションからは自転車で500mと言った所で年中、お酒を飲んでは遊びに行っていたようです。

 

問題はこの意思疎通が出来ない状態で、預貯金の所在がどうなったのかが解らないところです。

おじさんがほぼ独り占めした形になりますが、勿論葬式や公団住宅についての撤去作業遺品整理などかなりお金がかかった事は確かですが(お葬式を開きましたが、90歳ともなると周辺の人達もお迎えがあってあまり参列者もいない状態です。

お婆さんはその点親睦が広かった為多数集まりましたが、お爺さんは全くその逆でしたその結果香典自体の額は小さいと思われます)、それでもかなりのお金が残った事は予想されます。

 

年金費用だけでも毎月20万円近く支払われていた当時は戦争に行ったという事もあり、国からやや多めに支払われていました。

しかし高齢になると使う機会どころか一日テレビを見ている状態で、たばこ代か酒代程度であまり使わないわけです。

かなりの額が残っている事が明白ですが、この額面をこのおじさんは証明する事がありません。

 

申し上げました通り、姉妹ですので相手から恫喝されるともともと今でいうハングレというんでしょうか。

おじさんは素行が悪い人でした。

刑事ざたにはならないまでも問題行動の多い人で困ります。

 

そこで男手となりますが、カナダにいるが為に連絡そのものが付きにくいという有様です。

バンクーバーと日本だとほぼ昼夜逆転しているのです。

おのおの仕事や生活があるなか、連絡が付きづらい事もありますし日本に来るまでにかなり費用と時間がかかる訳です。

もっともこの人も私からすると叔父にあたりますが、やはり納得はしてないものの闘うには距離と時間が問題ともあり、また正直この問題のおじさんとも仲が悪かった。

 

今であれば私は弁護士を使うという話も考えられましたが、当時はまだ高校生でした。

法的な知識も持ち合わせていませんでしたし、父は父で正直この一族に関わりたくないという感じでした。

一番こまるタイプの事件で、法律とか事件となる前にべらんめえ状態で有耶無耶にするというのが母方の特徴でした。

 

お爺さんはかなり意思疎通が難しくなり、孫である私も失念している状態でした。

かなり重症だったように思います。

厳しい人でしたが、どちらかというと侍に近い人柄だっただけに私としては弱ってしまった所がかなりショックだった。

 

昔の人なのでお金の事であまり細かい事を言う人ではない人でした。

そういう意味ではこうした相続についてきちんとしてはいなかった所の間隙に、このおじさんの存在があったと思います。

かなりその後も揉めましたが、結局は法廷闘争になれば自分達の恥だという訳の分からない解決になったのを覚えています。

 

ちなみに問題の資産を独り占めしたおじさんは結婚もしていないので、後継者が居ない事になります。

つまりお爺さんはこれから無縁仏という事になります。

相続をしたのはいいのですが、お墓が維持できないのではと思います。

カナダにいるおじさんが一応長男となりますが、正直帰ってくるつもりはないようです

弁護士に立ち会ってもらうほうがスムーズです。

私の父母はそれほど裕福な生まれではありませんでしたし、就職先も一般的な会社でしたから、収入も極端に高いわけではありませんでした。
それにも関わらず私の父母が死亡した際には、ある程度のまとまった財産が存在していたのです。

父母のような経済的な環境であれば、普通はまとまった財産を残すことは困難なはずです。
それを可能にした要因は、日本において起こった土地バブル現象で、これによって父母はまとまった財産を手に入れることになりました。

父母が結婚してからしばらくした際に、ある家を購入したのですが、それが立ち退き要請となったそうです。
立ち退き要請というのは、無理を言って退去してもらうのですから、一般的な取引価格より高くなります。
そこで大きなお金を得たのですが、そこからは売って得たお金を次に投資することを繰り返して、財産を手に入れたわけです。

しかし母に次いで父が死亡すると、その財産を子供が相続することになるのですが、私には兄が存在しています。
兄は若いときから放蕩な生活をしていたので、父が死亡するまで実家とは疎遠な関係でした。

普通であれば兄弟ですから、半分ずつ遺産を相続することになるはずですが、そうした兄との関係性から、父は兄に対して財産を残さないと遺言したのです。
もちろん父がこのような遺言をしたとしても、兄には遺留分を相続する権利があります。

そのため私は兄に対して父の遺言書を見せたうえで、兄に遺留分を相続してもらうことを伝えたのです
ところが兄は遺留分だけでは不服のようで、私が父にそうした極端な遺言書を書かせたはずだと、私のことまで非難し始めました。

そうした兄の批判を受けたわけですが、私としては遺言書が存在していることを知ってはいたものの、内容は死亡後に遺言書を開封するまで知りませんでした。
父は死亡する前に病気を患っていたので、自身の死期が近付いたことを悟ったようで、死亡する直前になって私に遺言書を手渡したのです。
しかも遺言書については、死亡するまで封を開けることなく保存して、死亡後に親族が複数いる前で開封しました。

したがって父の遺言書に関しては、私が内容に手を加えることが、一切出来ない状況だったのです。
加えて兄は父がまもなく死亡すると連絡したにも関わらず、臨終の際に立ち会うことはありませんでした。
そして兄が最終的に現れたのは、父が死亡して葬儀を行う直前でしたから、私にしてみれば非常識極まりないと感じていました。

このような状況であるのに、兄は父の遺言書の内容を批判するだけではなくて、遺留分だけでは不服だと述べたのです。
そこで私は葬儀に参加していた親族に、父の遺産の相続の方法について相談しました。
すると複数いた親族たち全てが、兄には遺留分だけで良いはずだと言ってくれたのです。

それでも兄は食い下がってきて、遺留分だけではおかしいと言い張りますので、私は対処に困って弁護士に相談することにしました。
この弁護士というのは、父が以前からお世話になっている人で、私も以前に何度か顔を合わせたことがあったのです。

するとその弁護士は、やはり法律的には遺留分だけで良いと言ってくれましたが、私の意思次第でそれ以上に兄に分配することも可能だと言ったのです。
確かに兄は放蕩の限りを尽くして、父の臨終にも立ち会っていませんから、遺留分だけでも問題はないと思いました。

しかしこれ以上揉めるのは避けたいという気持ちもあったので、私はある家を兄に相続してもらおうと考えました。
その家は父が所有していたものなのですが、金額に直すと遺留分を1千万円くらい上回ります。
その条件を今度は先程の弁護士の立会いの下で提案したところ、まだ不服そうな態度を示しましたが、結局は条件を受け入れてくれました。

このような経過を辿ったことから、遺産相続をする際に初めから弁護士に立ち会ってもらっておけば良かったと、後になって感じました。

土地やマンションの相続で揉めた原因や解決方法

親が亡くなって後に親が所有していた土地が3つと投資マンションが残っておりました。

これに関しては遺言書に何も記載されてなかったので姉との話し合いでどっちがもらうかを決める事になりました。

 

私としては投資マンションをもらう代わりに田舎にある二束三文の土地をもらって、姉には都心の住宅街にある2つの土地をあげるからって提案をしました。価値的には姉にあげたい土地二つのほうが上で高く売る事ができるので納得してくれるかなって思いましたが姉は投資マンションがどうしても欲しいと言いだしたんです。

 

現在その投資マンションは人が入居していて月に7万ほどの家賃収入を親が得ておりました。どうやらその家賃収入に魅力を感じて投資マンションを欲しいと言い出したんです。私も実はその家賃収入が魅力的だし2003年物だしリフォームも親が亡くなる2年前にしたものですので割と良い状態なんで長く家賃収入が見込めるから私も欲しくなりました。姉の希望はこの投資マンションだけもらうから土地3つはあんたにあげたいって事でした。色々考えましたがどうも納得がいかずどうしとうか迷っておりましたが弁護士に入ってもらうのが一番でしょうけども余計なお金をかけたくないと私と姉の意見はここでは一致してたんで弁護士は使わないと決めました。

 

ではこの相続トラブルをどうやって解決したかと申しますと、親しくしている近くに住んでいる父の兄に相談をすることになりました。これには姉も納得してくれました。で、父の兄にすべてを話したらお互い長男で長女なわけだし平等だと考えて馬鹿らしいやり方かもしれませんが、あみだクジで決めればいいだろって父の兄が言い出したんです。これには私も姉も苦笑いでしたがそれでもこれが一番良い方法かなって思えてきてあみだクジで勝ったほうの希望が通るという事にしました。で、どっちが勝ったかと申しますと姉が勝ちました。そして姉が投資用のマンションを相続することになり私は土地3つを相続しました。その後は土地二つは売り払って2000万ほど私の手に入ってきました。今考えると2000万入ってきたのでOKだったかなって思えてきたしこうなる運命だったんだなって思えて納得できました。

 

とにかくうちみたいにならないためにも親が持ってる財産は細かい部分まで親が生きてるうちに子供の誰にあげるのかを親にしっかりと確認を取ってもらってそのあたりを遺言書にきさいしてもらってください。そうしないと大変面倒な事になりかねないのです。特に財産が多いご両親をお持ちの方でしたらしっかりととした遺言書を作っておかないとかなり揉めます。なので早い段階で遺言書を書いてもらう必要があるのです。

 

あと、私は親が住んでる家については遺言書に私が相続することが書かれていたのでそれはすんなり頂けましたし今はそこに私が住んでるんです。でもこの家もいずれ売ろうかと考えてます。結構古い家ですので傷んできてますし、一等地なんで土地だけでもそれなりの値段で売れそうです。

 

遺言書がない場合は、弁護士に頼む手もありますけども料金が結構かかるのであんまりお勧めできないですが決着がなかなかつかない場合のみだけ弁護士を使うという最終手段的な場合でのみ弁護士を利用することをお勧めします。まあこのあたりは人によって考え方は違うでしょうし、いやいやこういう事は最初から弁護士にすべて任せるべきっていう人もおりますが、このあたりは何が絶対正しいかなんてわかりませんし断言もできないと私は考えておりますので各々のやり方でいいかとおもいます。

 

まあうちみたいなあみだクジで決めるというのはあまりにもお粗末かもしれませんけども、それも1つの方法なのです。

父の遺産相続について4人兄弟で遺産を分けたときのこと

父親が亡くなったときのことです。

私には長男長女次女の兄妹が3人いる4人兄妹です。
小さい頃はとても仲がよかったのですが、お互い社会人になり、それぞれ家庭を持つようになると、だんだんと連絡が疎遠になっていきました。

 

母親が亡くなり、父親が1人になってしまったとき、誰が面倒を見るかということで一悶着ありました。

お互い家族があり、一緒に暮らすことが難しかったので、なかなか話がまとまりませんでした。
結局父親が気を遣い、1人でも大丈夫だと言い張り、父親は一人暮らしをすることになりました。
しかし父親も高齢で1人では心配なので、お互い交代で父親の様子を見にいこうということで話がまとまりました。
最初のうちはうまく回っていました。きちんと交代制を皆が守り、父親の様子を見たり、身の回りのことをしていました。

 

しばらくすると、仕事で忙しくて今週は行けそうにない。子供が熱を出した。子供の学校行事がある。今週は出張がある。などの事情で、私次男だけが父親の様子を見に行っていました。父親はみんな仕事だから仕方がない、孫のためならと言っていましたが、実際とても寂しそうでした。
私が父親を見に行くことをやめてしまえば、父親は一人ぼっちになってしまいます。それだけはなんとしてでも避けたかったので、一緒に住むことはどうしても難しかったので、仕事と家庭を自分なりに両立しながら、父親のところにも通うという生活を送っていました。幸運にも私の家族も一緒に来てくれたりとサポートもあったのでとても助かっていました。

 

あるとき父親が体調を崩し入院しました。
私たち兄弟はお金を均等に出し合い、入院費を賄い、お見舞いにも交代で行きました。
調子が良くなったので退院することができましたが、しばらくするとまた体調を崩し、長期で入院することになってしまいました。
2回目の入院費は長男が少し多めに出し残りを3人で均等に出し合いました。
父親の状態はあまり良くならず、このまま入院しても回復が見込めないので、自宅で療養した方お父さんの為になると医者に言われたので、退院し、自宅介護が始まりました。この時もまた、押し付け合いが始まり、私次男が面倒を見ることになりました。こんな兄妹に任すくらいなら私が父親をサポートしたほうが絶対にいいと強く思いました。

 

父親も寂しそうでしたが、私が来てくれて、世話をしてくれてとても感謝している、寂しくないと言っていました。
父親の介護を始めて3年ほど経った時、私たち兄弟家族に看取られながら、父親は自宅で静かに亡くなりました。

 

葬式も終わり、ひと段落した時、長女が相続について話し始めました。
金銭面では皆がほぼ平等に援助していたのだから、遺産も平等に分けるべきだと言い出したのです。私はそれはおかしいと言い張りました。父親が1人になった時に面倒を見ていたのは私で、自宅介護では私が世話していたのですから。

 

その結果、私が多めに遺産を貰えることになり、残りを兄妹3人均等にで分けることになりました。
しかし、そのことに納得いかなかった兄、長男が文句を言い始めたのです。長男は父が入院した時は、自分が多めに入院費を出したときのことを主張し始めたのです。

私次男が遺産を多めにもらうことにはなんとか納得して貰いましたが、残りを均等に3人で分けるのはおかしい、自分が多めに貰える権利があると言い張りました。

 

そこから遺産相続のついての話し合いはなかなか前に進まず、ほぼ止まってしまいました。私は兄妹がこんな人たちで本当に情けなかったです。世話を丸投げし、遺産はしっかりもらおうというその考えに呆れ、父にも申し訳なく思いました。

 

現在も話はまとまっておらず、弁護士も介入しています。
早くこの争いが収まることを願っています。

舅の死後、相続を兄妹間で、長い間もめました。

私の主人は、長男で、舅が、急に、寝込んでしまい、救急病院へ連れて行くと、即入院しました。

救急病院でも、座っておられず、簡易式のベットで、横になって待ちました。

看護師さんが、救急車で、来たら、もっと早く処置してもらえたのにと、言われました。

4月入院から、結果7月2日に、亡くなりました。それも、病状が、一変して、急死でした。

本人は、入院後、徐々に、よくなりつつあったので、退院後、自宅へ帰るつもりでした。

長い入院生活、私も含め、姑と一緒に、介護しました。

姑は、車に乗れないし、高齢なおで、買い物、病院の通院など、私達夫婦がしました。

主人の妹さんは、舅とも、姑とも、仲が昔から、悪く、4か月の入院中に、たった1日しか、来られませんでした。

なのに、死後、通夜の場面で、舅の車は、新車でしたが、私、車古いから、もらうねと、言って、自分の物にしました。

私の車は、15年以上乗って古いのに、欲しかったです。

乗り心地もよく、私が、もらえるものと、思っていました。

だって、介護、随分しましたし、買い物、入院時の姑の病院、沢山ありましたが、ほぼ、自分の古い車で連れて行きました。

姑が車に乗ってくれると、有り難いですが、何もしない人なので困りました。

主人が、舅の財産、通帳の相続の手続きなどしました。

姑の介護保険の手続きとか、山ほど、作業がありました。

市役所へいったり、事務手続きがありましたが、妹さんは、ほぼしなかったです。

姑と仲が悪いのを、理由に、あまり自宅へ来なかったです。

都合の良い時だけきて、物を持って帰ったり、遺品整理で、自分のいるものだけ、持って帰りました。

葬儀の費用や、葉書出したり、本当に、人が亡くなるとこんなに、忙しいのかと、初めて知りました。

私の親は、二人共、生きてるので。

私の親は、死後トラブルのないように、お墓のお守りもしないでいいように、長男が、結婚してないので、永代供養にしています。

また、値段がかからないように、家族葬にすると、もう、早々手続きしています。

舅は、お元気でしたので、何もやっておられず、趣味も多数あり、植木、畑などされていたので、その道具、倉庫いっぱいある、不用品を、今まだ、整理、処理できてない状態です。

8か月近く経ちましたが。しかし、妹さんが、あんなに、自己中で、欲しい物だけ、もっていき、私の欲しかった車も、取り上げ、今は新車同然の車に乗っています。

すごく悔しいです。

主人は人が良いので、かなりの、遺品を、お金をかけずに、少しずつ、不燃ごみ、リサイクルごみとか、日にちに分けて、捨てています。

しかし、80半ばまで、生きると、かなりの物があります。

本も、舅は、大好きでしたので、沢山あります。

リサイクル業者へ、頼んだらといっても、主人が、自分で、持っていくといっています。

腰痛持ちの主人がです。

やはり、ショックもあり、今は体調が弱り、忙しさで、風邪ばかりひいています。

まだ、株をなんとかしないといけないと、言っています。

お墓の相続も、結構手間がかかるようです。

姑は、手紙かかないので、舅に来た葉書は、主人が、変わりに書いています。

相続金も、銀行手続き、かなり大変でしたが、主人が、4分の一もらいました。

姑が、半分です。

なんで、妹さんが、主人と同じ4分の一のお金相続するのかと、言ったら、主人に怒られました。

夫婦間でも、言ってはいけない事もあるのだと、実感しました。

家の周りの、木や、柿の木等も、主人が、安い業者へ頼んで、切って頂きました。

売れそうな物は、ほぼないので、後は、沢山のゴミ処理をしないといけない状況です。

ガンなら、本人が、死ぬ時期が、ある程度わかるので、準備もできたでしょうが、急だったので、全部、主人がやり、本当に大変でした。

今は、少し落ち着きました。

私は、相続に関して、遺書が、大切と改めて思いました。

だって、舅は、妹さんに、ずいぶんお金貸して、帰ってこない事、何度もあったので。

お金の事は、きちんとすべきだと思いました。